心配事を幸せに変える

こんにちは。約一ヶ月ぶりの投稿になります。りかです。

その間、岡山では豪雨の被害に遭い、現在ボランティアの方々で片付けや物資の支援など復旧活動が行われています。
今日、息子もボランティアに向かったので、私も必要なモノを託しました。

 

そんなこともあり、6月中旬ぐらいからいろんなことがあってなかなかスッキリしなかったのだけど、
この2日ほど前からやっと普段の生活ができるようになりました。

 

今回体調が悪くなったのは、病院で処方された薬の副作用もありました。

調子が悪かったので病院へ行き薬を処方してもらって、それを飲み始めて微熱、高熱が交互に続き
約一週間ぐらい引きずっていました。
まさか、副作用だなんて思っていなかったから、良くなるようにずっと飲み続けていたんです。

もしも副作用だと気づかず、また病院へ行ってたら、何か他の病気が潜んでいるかもしれないと色々検査などされていたかもしれませんね。
副作用と気づいて良かったです!!

自分の身体は自分が一番よく知っている

本当は自分の身体は自分が一番よく知っているはずなのになぜか病院の先生の言葉を信用してしまいます。
そして、「先生」と名のつく人の言葉も信じてしまいます。

これは、子供のころからの学校教育で植え付けられた「先生のいうことは正しい」が
ずっと私たちの心の中に染みついているからでしょうね。
私は、学校の先生が嫌いだったので(笑)先生と名のつく人があまり好きではないのです。
ごめんなさい。
しかし、先生でも良い先生もいらっしゃるので全否定はしません。
そういう自分の記憶が今でも作用していることに驚きます・・・

記憶も身体が覚えているんですね。
辛かった、悲しかった、しんどかった、嬉しかったなど、体感したことは記憶にあるんです。
しかし、”ただ考えていたこと” ”思っていたこと”はあまり記憶にないように感じます。

子供のころ、大きな声で怒鳴る父親を見て育っていると声の大きな人が苦手だったり、
手が出る親だと、そういう人や状況を見るだけで嫌な気分になります。
その場で見たり、聞いたりして感じたこと、自分が体感したことが一番記憶に残っていますね。

 

今回の私は、最初にカラダに異変が起きた原因は、少し心配ごとがあった。
これだと思うんです。
それが普段病院へ行かないのに行き、その結果、病院で処方された薬の副作用が出てしまった。
根っこにある心配事が、すべて心配を引きよせてしまったのではないかと思っています。

心配事を幸せに変える

根っこにある心配事が他のすべてのことまで心配事にしてしまっては大変!!
もうこうなったら、”心配事は幸せなこと”にしなければいけません!!(>_<)

心配なこと。それはなぜ心配なのか?
それがどうなると困るのか?
その心配なことが良いことへと変わったらどうだろう?
そんなに心配する必要があるんだろうか?

こんなふうに考えていくと、案外そうでもなかったりします。
あるいは、自分の考えすぎ。勝手な妄想。

だいたい、心配事や不安なことは自分の勝手な思い込みや妄想が多いと思うんです。
なので、その思い込みや妄想をすべて良いことへと変えてみると
今度はすべてが良いコトへと変わっていくよね。

わたしもそうしました。
すると、あんなに心配していたことが、そうでもないことに気づき
自分一人、自作自演をしていたな~と思いました。

だけど、しんどいときはなかなかそういう思考にはなれないよね。
それもわかります。
なので、普段からそういう癖付けをしておくといいですね。

 

自作自演は、自分が幸せになる設定にしよう!

そうじゃないと楽しくないものね。

心配や不安なことは、周りの人の言葉や態度までそうしちゃうような氣がします。

すべてではないにしても、自分で氣をつけることができればそれを意識していきたいですね。

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